『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』死を描きながらも人生の素晴らしさを肯定する(ネタバレあり)

新作映画レビュー

画像出典:IMDb-The Room Next Door

作品情報

 シーグリッド・ヌーネスによる小説を映画化した作品。

 監督は『パラレル・マザーズ』のペドロ・アルモドバル。

 出演は『ザ・キラー』のティルダ・スウィントン、『メイ・ディセンバー ゆれる真実』のジュリアン・ムーア、『THE BATMAN-ザ・バットマン-』のジョン・タトゥーロ。

 アルモドバル監督とスウィントンは『ヒューマン・ボイス』(2020)でもタッグを組んでいます。


ザ・ルーム・ネクスト・ドア

安楽死をテーマにしているが…

 この映画が安楽死をテーマにしていることは予告でもアピールされていました。実際そのとおり、”死”が物語の中心を為しています。

 しかし作品の中で悲壮感はそれほど感じさせず、生きる喜びをも肯定した明るい作品となっていました。

死への恐怖とその克服

 マーサ(ティルダ・スウィントン)はステージ3の癌を患っており、新しい治療法を試みますが、失敗してしまいます。これに懲りたのか、彼女は安楽死を決断します。そこでイングリッド(ジュリアン・ムーア)に「自分が死ぬときには隣の部屋にいてほしい」とお願いします。イングリッドは気乗りしないながらも、これを承諾します。

 マーサがイングリッドにこのようなお願いをしたのは、やはり一人で孤独に死ぬのが怖いからでしょう。彼女は安楽死を望みながらも死への抵抗心を捨てきれずにいます。

 一方のイングリッドは死への恐怖心をはっきりと明言しています。冒頭のサイン会では新刊のテーマが「死への恐怖」であると指摘されていましたし、マーサと会話しているときも安楽死の話題を意図的に避けようとします。

 このように当初は2人とも程度の差こそあれ、死に対して向き合うことを恐れているように見えました。

 しかし共同生活を経ることによって、2人の心境に変化が生じます。

 マーサは最後に安楽死を決行しますが、何とイングリッドが不在の時に旅立ってしまうのです。これは当初の計画とはまるで異なる展開です。

 しかしマーサはイングリッドとの関わりを通して人生に満足できたのでしょう。彼女は薬の影響による認知障害を抱えた自分、本や音楽を楽しめなくなった自分に苦しんでいましたが、イングリッドが優しく寄り添ってくれたことにより、2人で映画を楽しめるまでに回復します。娘からも見放されていた彼女でしたが友人と触れ合う喜びを感じて孤独感が解消されました。だからマーサは一人で死ぬことができたのです。

 対するイングリッドもマーサの遺体を発見したときはかなり落ち着いています。これは映画の中盤で部屋の”ドア”が閉められているのを見た場面で、マーサが死んでしまったと勘違いしてパニックになってしまった彼女とは対照的です。

 2人は共同生活を通して死という存在を受け入れられるようになったのです。

マーサのフラッシュバック

 この映画には「マーサとイングリッドの共同生活」というメインプロットから少し脱線した場面も多くあります。しかしこうしたシーンからも映画のテーマ性が窺えます。

 例えば冒頭ではマーサによる回想が描かれています。まず一つ目は娘の父親であるフレッドにまつわるエピソード。彼はベトナム戦争に行軍してPTSDになってしまい、マーサとの間に娘ができても彼女たちと離れることを選びます。その後に彼は医療従事者になりますが、最後は人を助けるために燃える廃屋へと飛び込んで亡くなります。

 フレッドはベトナム戦争によって人生を変えられてしまいました。恐らくそこで多くの兵士を殺害したでしょう。これに対する贖罪のために、彼は医療に携わったのではないでしょうか。彼が亡くなるシーンでは人がいない廃屋から「助けを呼ぶ声が聞こえた」と言って、存在しない人間を救出しに行きます。彼の後半生は人を助けることに取りつかれており、最後までそれを貫き通したのです。

 もう一つの回想はイラク戦争で出会ったゲイカップルの物語です。フレッドがベトナム戦争に行って変わってしまったことに影響されたのか、マーサはかつて戦場ジャーナリストとして活動していました。その取材に行った場所である司祭たちに出会います。現場は危険であるにも関わらず、「残された人々を見捨てることはできない」として彼らは最後まで留まろうとします。

 帰りの飛行機の中でマーサは記者仲間から、2人の司祭はカップルであることを教えられます。「カトリック教徒として同性愛に罪を感じないのか?」というマーサの質問に対してその記者が「戦争における死の恐怖に比べたら、セックスの罪悪感など大したことない」と答えます。確かにセックスというのは最も生に直結した事柄でしょう。ここでは戦場という死が支配する世界で愛を育む人々が描写されています。

 これら2つの回想では人々の命を救うために活躍した人々が描かれています。どちらも戦争という絶望を体験しながら、その中で残された希望を体現しているのです。

随所に挟まれる小さなエピソード

 物語の中盤にはイングリッドとジムトレーナーのシーンがあります。彼女がマーサの病気のことをトレーナーに打ち明けると、彼は親身になって話を聞いてくれます。さらに訴訟問題を避けるためにトレーナーは客に触れることができない、なのでハグしたくてもできないことを彼は述べます。しかしそれでもイングリッドとトレーナーの心は通じ合ったことがわかります。

 さらにダミアン(ジョン・タトゥーロ)とイングリッドの関わりも重要です。ダミアンはペシミズムに染まっており、自然破壊や気候変動が絶えない今の世の中を嘆いています。しかしイングリッドは「自分はマーサとの生活で悲劇の過ごし方を知った」と言ってそれに屈しません。彼女はあくまでこの世での生を否定しないのです。

 こうした場面からも、この映画のテーマが「この世での希望」であることが読み取れます。

アルモドバル監督の趣味が炸裂

 またこの作品には様々なアート作品が登場します。

 イングリッドが構想中の新作は、20世紀前半の芸術家組織であるブルームズベリー・グループ内における三角関係をテーマにしています。このグループにはヴァージニア・ウルフも所属していました。

 さらに2人が観る映画は『キートンのセブン・チャンス』(1925)と『大いなる幻影』(1937)です。そして2人が書店で手に取る本 Erotic Vagrancy (2023)はリチャード・バートンとエリザベス・テイラーの恋愛を描いた書籍です。

 ジェイムズ・ジョイスの小説『死者たち』(1914)は映画において重要な役割を果たしています。雪が降る景色を見てマーサがこの作品を引用するのです。さらにジョン・ヒューストンによる映画版『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』(1987)まで登場します。この雪のモチーフはマーサと密接に結びついており、ラストでマーサの娘であるミシェルとイングリッドの前で雪が降り始めるのは、マーサの痕跡が彼女の死後も残り続けていることを感じさせます。

 こうした多様な芸術作品の引用は完全にアルモドバル監督の趣味でしょう。観ていて微笑ましいものがありました。

安楽死反対派を否定し過ぎでは?

 ただ一つ気になった点として、安楽死反対派を悪く描き過ぎなんじゃないかと思いました。

 マーサの遺体を発見したイングリッドは警察に通報し、警官から取り調べを受けます。この場面では今までのカラフルな色彩が影を潜め、灰色で無機質な造形となっています。

 ダミアンが呼び寄せた弁護士は警察官を「イカれた狂信者」呼ばわりしますが、ここまで完全否定してしまうのはいかがなものかと思います。現在のアメリカでは積極的安楽死と自殺幇助は違法なので、それに関わった人間を取り締まらなければならないのは当然でしょう。

 アルモドバル監督は安楽死に肯定的な発言をしているのでこのような描写をしたのだと思われます。私は安楽死反対派ではないですが、未だに議論が続いている問題でどちらか一方を貶めるような描き方をすることには賛成できません。ある程度バランスを取らないと、どうしてもプロパガンダっぽく感じられてしまうんですよね。

 もう少し反対の立場に目を向けても良かったのではないでしょうか。

まとめ

 死を物語の核としながらも、それでいて生の素晴らしさも肯定する。悲しさと希望を両立させるしみじみとした作品となっていました。

 最後に俳優陣について。ティルダ・スウィントンはマーサだけでなく、彼女の娘のミシェルまで演じていました。マーサの役柄を演じているときは随分とやつれて見えましたが、ミシェルとなって再登場すると印象がガラッと変わり、そのギャップに驚かされました。彼女は『エターナル・ドーター』(2023)でも母娘を一人で演じていましたが、こういうの好きなんでしょうね。

関連作品紹介:『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』(2023)

画像出典:IMDb-Extraña forma de vida

 ペドロ・アルモドバル監督の前作。主演は『ブラック・フォン』のイーサン・ホーク、『グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声』のペドロ・パスカル。

 ジェイク保安官(イーサン・ホーク)の元にシルヴァ(ペドロ・パスカル)という男が訪ねてきます。彼らはかつての恋人同士であり、数十年ぶりの再会でした。しかしシルヴァには何か思惑があるようで……。

 男らしさを鼓舞する西部劇でゲイカップルを描くという逆説的な設定からは『ブロークバック・マウンテン』(2005)を連想させます。しかしこの作品にはピリピリとした緊張感が全体に漂っており、どちらかと言えば『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021)の方が近いかも。特に映画中盤における2人の対話場面では、過去の彼らに何があったのかがセリフから伝わってきます。そして終盤において物語は頂点に達するのです。

 それと同時に友情と恋愛の狭間を行き来するような2人の関係性がノスタルジックに描写されており、メロドラマの甘さと西部劇の辛さを同時に兼ね備えたような味わいです。

 上映時間30分という短編ながらも、鮮烈な後味を残す作品となっています。


ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ
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