目次
概要
ヘンリー・ジェイムズの小説『密林の野獣』を元にした作品。
監督は『SAINT LAURENT/サンローラン』のベルトラン・ボネロ。
出演は『デューン 砂の惑星PART2』のレア・セドゥ、『1917 命をかけた伝令』のジョージ・マッケイなど。AI面接官の声を『Mommy/マミー』の監督であるグザヴィエ・ドランが担当しています。
ヘンリー・ジェイムズ『密林の野獣』とは?
作品の感想に入る前に、映画の原案となっている中編小説『密林の野獣』についてザックリと解説します。
主人公は男性のジョン。彼はいつか自分がとてつもない不幸に襲われるのではという予感を抱えています。そしてその秘密をメイという女性にだけ明かしていました。そしてメイはその不幸、つまり”野獣”がやって来るのを共に待ち続けることを誓います。
しかし”野獣”がやって来ないまま月日は経ち、メイは重病に罹ってしまいます。そしてジョンに「”野獣”は既に到来していた。けれどもあなたはそれに気づいていない。」と言い残して、死亡します。ジョンは”野獣”の正体がわからず、悶々とした日々を送ります。
そしてジョンがメイの墓を訪れていたある日、隣で彼と同じように墓参りをしている男性を見かけます。その男性の悲しみに沈んだ表情を見た瞬間、ジョンは全てを悟ります。この男性のように失った後で嘆き悲しむに値する大切な人を、彼が誰一人として持っていないことに気が付くのです。
ジョンはメイとの関係性を「自身の秘密を共有してもらっている」という利害でしか考慮していませんでした。もし彼がメイとの関係をさらに発展させていれば、彼の人生はもっと充実していたことでしょう。しかし彼はそうしませんでした。ジョンはここで初めて先述のメイの言葉を理解します。
つまり”野獣”の正体とは「”何もしなかった”という取返しのつかない人生の後悔」のことであったというオチです。こうした”過ぎ去りし日々への悔恨”こそがこの小説のテーマとなっています。

ゲイ短編小説集 (平凡社ライブラリー)
映画『けものがいる』との比較
映画『けものがいる』は上記の『密林の野獣』を原作としてはいますが、映画版に残された要素は主に「主人公が未知なる不安に襲われている」という点のみです。また主人公の性別は男性(ジョン)から女性(ガブリエル)に変更されています。
とはいえ両者の”けもの”の扱いはかなり異なります。小説では”野獣”の存在が作品のメインテーマとなっており、この不安の正体が何なのかを作品全体を通して模索しています。しかし映画版での”けもの”の扱いはそこまで強くなく、他にも多彩な要素が散りばめられていました。
また小説から映画における場面の引用もかなり限られています。映画の冒頭ではルイ(ジョージ・マッケイ)がガブリエル(レア・セドゥ)に以前に会ったときの情景、「ガブリエルが誰といたか」や「どこで会ったか」を話しますが、それを彼女に訂正されるシーンがありました。小説の冒頭でも同じようなシーンが存在します。またルイとガブリエルが時々オペラを鑑賞する点も共通しています。
しかし共通しているのはそこぐらいで、映画で描かれた未来世界や2014年での物語は、映画オリジナルの要素となっています。また最後に明かされる”けもの”の正体も、両者では大きく異なっています。
”けもの”の正体とは?
では映画版での”けもの”の正体とは何だったのでしょうか?それはラストシーンで明かされます。
感情浄化に失敗したガブリエルはルイに会うためにダンスクラブへ行きます。そこでルイと再会しますが、彼は浄化に成功しており、高給職にも就いています。それを知ったガブリエルが絶叫して、映画は幕を閉じます。
このラストシーンを解釈するならば、”けもの”の正体とは「感情を失ってしまった親しい人」ということになるでしょう。ガブリエルは映画の前半から一貫して感情を人間性と同一視して、それを喪失してしまうことへの懸念を感じていました。自身はそれを免れましたが、過去の世界で共に触れ合ってきたルイは浄化が完了してしまったということです。
この結末を踏まえるならば、この映画のテーマは「愛する人を救えなかった女性の悲劇」とも読み取れます。2014年のガブリエルは、自身を殺そうとするルイをわざわざ部屋に迎え入れようとします。これは1910年の世界で彼女を救おうとして死んだルイへの恩返しだったのかもしれませんが、結局2014年での彼女はルイに射殺されてしまいます。結局1910年での工場火災の時と同じように、この2人は相手を救うことができなかったということでしょう。
そういえば今作ではフランス語と英語が混在して使われていました。普通の会話では仏語でしたが、ガブリエルとルイが2人きりで話す場面では英語で話されていました。字幕だけではわかりませんでしたが、これも2人の絆を表すための仕掛けだったのでしょうか。
ドラマが上手く機能していない
このようにラブストーリーとしてのテーマ設定は良いと思うのですが、しかし物語の中でそれが十分に描けていたのかというと、それは微妙に感じました。
そもそもガブリエルとルイが2044年での記憶を持ち越したまま、過去に転生しているのか、その点すらも曖昧です。映画を観た感じではどうもハッキリとは覚えていないようですが、無意識の内に相手の存在を意識しているようです。
3つの時代では1910年のパートが2人の関係を最も時間を割いて描いていました。この2人を繋げているのは「ガブリエルが”けもの”の予感を感じている」という秘密を共有しているという事だと思われます。しかし2014年と2044年では、こうした2人を繋ぎ止める要素が見受けられません。
例えば2014年で地震があった後、ガブリエルはルイに対して家に来てくれるように頼みますが、初対面の人間に対してなぜこのような親しげな態度に出るのか、理解に苦しみます。またルイが拳銃を持って家に侵入して来た際にはわざわざドアを開けますが、これまたなぜ危険な人物を迎え入れるのか、戸惑ってしまいました。(好意的に解釈するならば、先述した内容となるのでしょうが)
もしガブリエルが1910年の記憶を2014年でも維持しているのならば先述の行動も理解できます。しかし彼女は2014年での占い師から1910年の占いで聞かされた内容を同じものを聞かされても、まるで身に覚えのない様子を見せます。また2014年ではハトの死骸を踏んでしまいますが、ここでも1910年でハトが自宅に侵入してきた出来事を連想しているようには見えません。
さらに2044年のパートですが、ここでガブリエルとルイは3回しか顔を見合わせてません。1回目は冒頭の面接会場での対面、2回目はダンスクラブでの再会、そして3回目はラストシーンです。1回目は事務的な対話に留まっているし、2回目でルイはガブリエルの手に注目しますが、そこで関係が進展しているようには見えません。
このように2人の関係性がイマイチ釈然としないので、ラストシーンでルイが感情を失ったことへのショックがそこまで感じられませんでした。そもそもルイが感情豊かな人物とは描かれていませんでしたし。
よくわからないSF的世界観
また未来社会での設定にも、腑に落ちない点が散見されました。
まず感情浄化のプロセスですが、前世の悲劇的なトラウマを解消することでDNAを洗浄し、感情を浄化できると説明されていました。しかしこの過程にどうも納得がいきません。前世の人生を追体験させていたら、むしろトラウマは再燃してしまうのではないでしょうか。それによってDNAが浄化されるというのも、どういう理屈なのかが理解できませんでした。そもそも前世という概念からして、科学的じゃないですし。
それとAI面接官が「2025年の悲劇を繰り返すのか?」と問うシーンがありました。さらにガブリエルは外に出る際にガスマスクを着けています。なので2025年に何らかの災害があったように思われますが、この点に関してもこれ以上は説明されません。さらにガブリエルだけが感情浄化に失敗した理由も不明のままです。
まあ未来世界については作品の主眼ではないので、ツッコミを入れるべきではないのかもしれませんが。
前世の記憶は本物なのか?
映画で描かれていた3つの時代には、共通する要素が散りばめられています。それは先述したハトの出没や占いの内容に限られず、ガブリエルが水中で死亡するという最期や人形の存在、電話越しに話している謎の女友達、そしてダンスクラブで遭遇した女性集団などです。こういった謎の提示の仕方や全体に漂う不気味な雰囲気からは、デヴィッド・リンチ作品を連想しました。
しかし3つの時代にここまで共通性が見られると、主人公が追体験している前世は本物なのか、疑問に思えてきます。つまりこれらは全てAIが被験者の記憶から色々な要素をパッチワークして作り出した仮想世界であり、そこで挿入されて悲劇に被験者の精神が耐えられるのか、テストしているのか・・・?とも思えてきます。
そもそもこの映画の冒頭は撮影現場の風景でした。この冒頭のシーンは2014年でガブリエルの家にルイが侵入してくるシーンでの状況と重ね合わされていました。本作ではこのような現実と虚構の境界を曖昧にする演出が多用されており、これも映画の雰囲気を醸成するのに貢献していました。映画全編の内容は冒頭の撮影がずっと続いているだけと解釈するのもアリでしょう。
まとめ
映画全編に漂うミステリアスな雰囲気は魅力的でしたが、肝心のストーリーにはイマイチのめり込めませんでした。もう少し主人公2人の関係性を深堀りしてくれれば良かったのですが。
今回は原作との比較も行ってみましたが、個人的には原作のオチの方が、人生の普遍性を突いていて好きです。興味のある人は読んでみてください。
関連作品紹介:『プリデスティネーション』(2014)

輪廻転生を描いたSF映画ではこれがオススメです。
監督は『ジグソウ:ソウ・レガシー』のスピエリッグ兄弟。出演は『ブラック・フォン』のイーサン・ホーク、『スティーブ・ジョブズ』のサラ・スヌーク、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のノア・テイラー。
とあるバーにジョン(サラ・スヌーク)という男がやってきます。彼は1本のボトルと引き換えに、自身の数奇な半生をバーテンダー(イーサン・ホーク)に語りはじめます・・・・
この作品もあまり情報を入れない方が良いタイプなので、ストーリーの紹介はここまでにしておきます。これだけではどこにSFや輪廻転生の要素があるのかサッパリわからないと思いますが、これらの設定は思わぬ形で物語に関与してきます。
正直いって、最後まで観終わって振り返ると辻褄の合っていない箇所があるようにも思えますが、まあそこはご愛敬ということで。映画を観ている最中にその違和感に気づかなければ、オッケーでしょう。
上映時間も97分と短めなので、軽い気持ちで観てみてください。

プリデスティネーション(字幕版)