目次
概要
メアリー・シェリーの同名小説を映画化した作品。
監督は『シェイプ・オブ・ウォーター』のギレルモ・デル・トロ。
主演は『DUNE/砂の惑星』のオスカー・アイザック、『プリシラ』のジェイコブ・エロルディ、『インフィニティ・プール』のミア・ゴス、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のクリストフ・ヴァルツなど。

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)
リメイクした意義の感じられる出来栄え
小説『フランケンシュタイン』はもう既に何度も映像化されている作品です。ですので本作を観る前は正直いって「今さら映画化する意味があるのかな・・・?」と思っていました。
しかし実際に鑑賞してみると、原作のコンセプトを保持しつつも随所に巧みな脚色が挟まれており、リメイクした意義の感じられる素晴らしい作品となっていました。
改変された博士の幼少時代
まず第1部の冒頭では、ヴィクター(オスカー・アイザック)の幼少時代が描かれます。ここでは主に母親(ミア・ゴス)の喪失、そして父親(チャールズ・ダンス)への敵対心に焦点が当てられています。完全にオイディプス・コンプレックスです。
原作でのフランケンシュタイン一家の関係は良好です。ヴィクターと父親との仲は良いですし、父親は冒頭で死亡せずに物語の後半にも登場します。ですので父子の確執は映画オリジナルの設定となっています。
さらにヴィクターの父親に対する恨みの感情が、怪物造形の動機となっていました。母親を救うことができなかった父親に愛想をつかし、ヴィクターは死を超越することを決意します。原作での怪物造形の動機は、純粋な科学者としての探求心として描かれていました。しかし私は映画版の動機の方がドラマとしての厚みが感じられて好きです。
さらにこうした背景は冒頭だけで終わらず、その後のストーリーにも絡んできます。エリザベス(ミア・ゴス)が怪物(ジェイコブ・エロルディ)と交流を深めていることに苛立ったヴィクターは、杖で怪物を蹂躙しようとします。こうした行動は幼少期に彼が父親からされた折檻と同じです。彼はあれだけ忌み嫌った父親と同じ行動をしてしまっているのです。
さらにヴィクターは幼少期に幻視した赤い天使を心の拠り所としています。それは赤いドレスを着ていた母親を連想させるものであり、これが怪物造形の成功を保証していると彼は見做していました。しかし後半にて、実は赤い天使が髑髏であったことが明かされます。天使はヴィクターに怪物創造の自信を与えましたが、同時に彼を破滅へと導く存在でもあったのです。確かにヴィクターは母親の死をきっかけにして怪物創造に乗り出し、その怪物創造によって人生がメチャクチャになります。この要素はその後の展開を予告するものとして機能しており、効果的な脚色であると感じました。
ちなみにヴィクターの幼少期のシーンにおけるヴィジュアル性は、スタンリー・キューブリックの『バリー・リンドン』の影響を受けていると思われます。『フランケンシュタイン』で父親が息子を鞭で折檻するシーンは、『バリー・リンドン』で主人公のバリーが義理の息子のブリンドンを折檻する場面を連想させます。さらに前者で母親を失ったヴィクターが夜に椅子に座って独りで悲しんでいる場面のセットは、後者でバリーが息子のブライアンに読み聞かせをする場面のロケーションにそっくりです。
クズっぷりが増したフランケンシュタイン博士
本作と原作小説との最も大きな違いは、ヴィクターの性格ではないでしょうか。原作では理想に燃える科学者という印象が強かったですが、今作での彼には強烈なエゴイズムが付与されています。
前半でも彼の高慢さは感じられましたが、怪物を作り上げた後のヴィクターはかなり荒れております。ろくに知能を持たず、自身が嫌っている”ヴィクター”という名前を連呼する怪物に、どんどんフラストレーションを貯めていきます。さらに自身をふったエリザベスが怪物に心酔していく様を見て、怪物に嫉妬心すら抱くようになります。そして最終的に怪物を施設もろとも燃やし尽くすことを決断するのです。こんな展開は原作には無いものであり、ヴィクターのキャラクターとしての人間臭さが付与された素晴らしい脚色だったと思います。
怪物がハーランダー(クリストフ・ヴァルツ)やエリザベスを襲ったと周囲に言いふらして怪物の危険性を強調したり、後半でエリザベスが怪物との再会を果たしているときに怪物を射殺しようとする点なんか、完全に『美女と野獣』のガストンです。ラストで彼が怪物を殺害することを決断するのは家族を殺された復讐というより、エリザベスの愛情を奪われたことへの妬みの気持ちが強かったのではと思えてきます。
こうした彼のクズっぷりはピュアで純粋な怪物と良い対照をなしており、またそれを演じたオスカー・アイザックの存在感も見事でした。
怪物に追加された”不死身性”
さらに怪物には”不死身”という設定が追加されており、これも物語のテーマ性に上手く結びついています。
施設から命からがら脱出した怪物は様々な体験からこの世に絶望し、死ぬことを望み始めます。しかし彼は不死身の肉体を持っているので、死ぬことができません。ヴィクターは死を超越するために怪物を生み出したのですが、その怪物は死を望んでいるのですから何とも皮肉な展開です。この新たな設定により、怪物の悲哀性がさらに増しています。
そしてこの要素は映画のラストへも繋がっていきます。
希望を見出すラスト
映画のラストでは、原作では果たされなかったヴィクターと怪物の和解が用意されていました。ヴィクターは「自分を認めて生きていく」ことを怪物に諭し、また怪物を作り上げたことを懺悔します。怪物はそれを許してヴィクターを看取ります。良心を取り戻した怪物は、船を動かすことによって人助けをします。今作では怪物が生きる希望を取り戻して終わるのです。
原作ではヴィクターが死んだ後に怪物が登場し、北極点で死ぬことを暗示して終わるという悲しい結末となっていました。しかし映画版では”生きることを受け入れる”という普遍的なメッセージを与えて終わることにより、感動的なラストに改変されていました。このメッセージ性の付与が、『フランケンシュタイン』を再映画化した大きな意義であったと思います。
その他の改変
その他の原作からの改変点を挙げておきます。
観客を一気に引き込む冒頭シーン
映画の冒頭ではいきなり怪物が登場します。怪物が暴れまわることで彼の人智を超えた異常性が強く印象づけられ、物語への興味を一気に掻き立てられます。
原作では冒頭に登場するのはヴィクターのみであり、怪物は登場しません。しかし映画版で怪物の怪力さを描くことで一つの見せ場を生み出しており、キャッチーなつかみを生み出すことに成功しています。画的にも見応えのある緊張感あふれるシーンであり、これまた優れた脚色でした。
ハーランダーという新しいキャラクター
この映画ではハインリヒ・ハーランダーという原作には無いキャラクターが登場します。彼はヴィクターを経済的に支援しますが、実は梅毒を患っていて余命いくばくもなく、ヴィクターの研究によって寿命を延ばすことを密かに企んでいたのでした。
彼は「全てを投げ打ってでも死を免れたい」をヴィクターに懇願します。まあその諍いによって彼はいち早く死を迎えてしまうのですが・・・。生にすがりつくハーランダーは死を望む怪物と好対照を成しています。まあ正直いってハーランダーというキャラクターの存在意義はこれくらいしか感じられなかったのですが、演じているクリストフ・ヴァルツのスター性も相まって印象深いものとはなっていたと思います。
怪物と盲目の老人との交流
怪物と盲目の老人(デイビッド・ブラッドリー)との交流シーンも、脚色によってさらに洗練されていました。特に狼が羊たちを襲来するシーンにて、怪物がモノローグにて「存在しているだけで攻撃され、忌み嫌われるものがいることを知った」と述べるのですが、この一節が後の怪物の運命を予告しており、このエピソードを象徴するものとなっていました。さりげない挿入ですが、素晴らしい効果を上げていました。
また老人との交流を通して怪物が”人”として成長してゆく過程も丁寧に描かれており、彼が自身の出自を知ることになる流れへと自然に導くことに成功しています。特に老人の死ぬシーンは感動的であり、エリザベスの死と合わせて”親しい人が死んで行って、自分だけが取り残される”という絶望感を生み出し、怪物が死を望むことになるきっかけとして機能していました。
原作でもこのエピソードは単体としても有名になっていますが、今作では骨子を残しつつもしっかりと観客の感情を動かす仕掛けが随所に施されていました。このシーンも素晴らしかったと思います。
アンダーソン船長のキャラクター性
またアンダーソン船長(ラース・ミケルセン)のキャラクター性も単なる狂言回しではなく、見応えのある性格づけがなされていました。
冒頭ではラッパ銃で氷に穴を開けて怪物を水中に落とすという機転を見せ、指導者としてのカッコ良さも感じられます。また序盤では北極点への到達に固執していた彼でしたが、ラストではヴィクターの物語における教訓を受けて故郷へ帰る事に方針転換するという成長ぶりも描かれていました。キャラクターとしての面白さがしっかりと付与されていました。
ウィリアムの存在感がやや薄い
強いて欠点を挙げるとするならば、ヴィクターの弟であるウィリアム(フェリックス・カマラ―)の描写がやや物足りなかったと感じました。
幼少時代のシーンでは、父親からの寵愛を受けるウィリアムに幼いヴィクターが嫉妬する描写がありました。しかし大人になってからの兄弟間の関係は良好であり、この要素がストーリーにイマイチ生かされていません。
またウィリアムは死ぬ間際にヴィクターに向かって「ずっと兄さんが怖かった。兄さんは悪魔だ。」と言い放ちます。しかしそれを事前に感じさせるシーンは見受けられなかったように思います。ウィリアムが兄の研究に不安を抱いたり、兄の高慢さに忠告したりするような描写もありません。
この映画において、ウィリアムの役割はヴィクターとエリザベスの結婚を阻む障害としての役割しか与えられていないように感じてしまいました。
まとめ
私はデル・トロ監督の熱心なファンではないですし、あんまり好きではない作品もあります(『ナイトメア・アリー』とか)。しかし今作は私が観たデル・トロ作品の中では一番好きでした。
現在デル・トロ監督はカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』の映画化を検討しているとのこと。とても楽しみです。
関連作品紹介:『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』(2022)

ギレルモ・デル・トロ監督の前作。主役のピノッキオを演じるのはグレゴリー・マン。他のキャストは『ドクター・スリープ』のユアン・マクレガー、『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』のティルダ・スウィントン、『ブラックバッグ』のケイト・ブランシェットなど。『フランケンシュタイン』に出演しているデヴィッド・ブラッドリーやクリストフ・ヴァルツも参加しています。
事故によって息子を喪ってしまったゼペット(デイビッド・ブラッドリー)。彼は息子の代理として木製の人形を作り出します。しかし彼が翌朝起きてみると、その人形はピノッキオ(グレゴリー・マン)として喋り出します・・・・
ストーリーの骨子はディズニー版の『ピノキオ』と共通しています。しかしムッソリーニ政権という歴史的背景やゼペット爺さんの過去のエピソード、さらに死後の世界の描写など、物語に厚みをもたらす脚色が随所に差し込まれています。
また『フランケンシュタイン』との共通点も多く見られます。どちらの作品も一人の男が新たな生命体を創り出し、その生物が成長してゆく物語です。また両作とも”死”をテーマとしており、父と息子の関係性も掘り下げられています。こう考えると、デル・トロ監督の作風は一貫しているようです。
基本的にハートフルで子供でも楽しめる作品だとは思いますが、所々にデル・トロ監督らしい残酷さが垣間見れます。キャラクターの死ぬ描写は生々しく描かれており、それが物語に良いスパイスを与えています。
さらに本作はミュージカル映画として描かれており、ユアン・マクレガーやクリストフ・ヴァルツの歌声を聞くことができます。私のお気に入りはエンドクレジットでセバスチャン(ユアン・マクレガー)が歌っている「Better Tomorrows」です。作曲を担当したアレクサンドル・デスプラの職人技も冴えています。
デル・トロ作品の中では『パシフィック・リム』と並んで、特に娯楽性の強い作品と言えるのではないでしょうか。

