『敵』 “敵”とは一体何なのか(ネタバレあり)

新作映画レビュー

画像出典:IMDb‐敵

作品情報

 筒井康隆の同名小説を映画化した作品。

 監督は『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八。

 キャストは『宮部みゆき「長い長い殺人」』の長塚京三、『日本で一番悪い奴ら』の瀧内公美、『冷たい熱帯魚』の黒沢あすか、『あんのこと』の河合優実。


敵(新潮文庫)

“敵”の正体とは?

 本作で描かれていた”敵”とは一体何のことだったのでしょうか。

 私は希死念慮のことだと解釈しました。死への強迫観念のようなもの、自殺をした芥川龍之介が「ぼんやりした不安」と表現した、実体のつかめない曖昧なものです。

 この考えに則って、順にあらすじを振り返っていきましょう。

老人の充実した隠居生活

 主人公の儀助は「貯金が尽きたら死ぬと決めている」と友人に発言します。国に頼って長々と生き長らえるのは、彼にとって受け入れ難いようです。儀助は映画冒頭から自身の死を意識しています。

 しかし死を意識しているからといって卑屈になっているわけではなく、自分の隠居生活をかなり楽しんでいるように見えます。焼き鳥や冷麺といった料理を作って孤独のグルメを堪能したり(何度も描かれる食事シーンが本当に美味しそう!)、自身の専門分野であるフランス文学の連載を担当したり、元教え子たちと交流を深めたり、友人とお酒を飲みに行ったり……。

 さらに儀助は結構な年齢なのにか関わらず、性欲も衰えていないようです。女医に肛門検査をされる夢もそうですが、元教え子の靖子とセックスをする夢を見たときには夢精までしてしまいます。大学生の歩美と話してすっかり鼻の下を伸ばしてしまい、彼女に提案された『失われた時を求めて』の料理を調べ始める始末です。

 このように映画前半の儀助は死を考えてはいるものの、まだまだ生きる活力でみなぎっていることがわかります。

“敵”に追い詰められていく儀助

 しかし彼の人生は後半で徐々に崩壊へと向かっていきます。雑誌連載の終了を編集長から告げられて、授業料を肩代わりした歩美に逃げられたことによって、貯金が底を尽いてしまう。自身の定めた”Xデー”がいよいよ現実的になってくるのです。

 デザイナーの友人が病に倒れたことも彼に死を再認識させたでしょう。また夢に死んだ妻が登場し始めるのもこの辺りからです。彼の食事もカップ麺や菓子パンといった簡素なものへと変わってしまいます。

 だんだん夢と現実の境目が曖昧になっていき、”敵”もその姿を現し始めます。そうして一度は自殺を決行しようとするものの、”難民”の姿に恐れおののいて結局中断します。この”難民”とは死に対する儀助の恐怖でしょうか。

 そしてやってくる鍋のシーン。久々にちゃんとした食事を作って靖子と一緒に食べようとしますが、突如乱入した雑誌社の社員にほとんどお肉を食べられてしまい、儀助の専攻である文学を小馬鹿にされてしまいます。そして死んだ妻や教え子の靖子から自身の性の欲望を責められます。

 しかしこれらの場面は主人公の夢であり、儀助以外の人物の行動は全て儀助がそうさせているのです。つまり彼は夢の中で料理やフランス文学、靖子に対する性欲といった、自分の人生を彩る要素を他の人物に否定させているのです。井戸に死体を投げ込んでせっかく出てきた水をダメにしてしまうのも、同じことでしょう。

 このようにして自分をジワジワと死へ追い込んでいる儀助ですが、いよいよ攻撃を開始した”敵”によって胸を撃ち抜かれてしまいます。ここで儀助の心はポッキリと折れてしまったのでしょう。彼は”敵”に負けたのです。

 そうして生きる希望が完全に消えうせた儀助は、自殺を成し遂げます。

ラストの意味とは?

 映画の最後で相続者が儀助の幻影を見ます。これはどういうことなのでしょうか。

 恐らく儀助はまだこの世に未練があり、本当はもっと生きたかったのでしょう。そうした悔恨が具現化され、相続者の前に表れ出たのだと思います。

 実際に儀助は遺言内で、自分の家をできるだけ他者に売却しないように頼んでいます。霊は土地に住み着くので、残された自宅で赤の他人とは過ごしたくなかったのかもしれません。

 また儀助の妻はこんな一軒家よりもマンションで暮らしたかったようですが、彼はここに住み続けました。それはこの家が先祖代々伝わる一族の財産だからでしょう。だから中盤で儀助は彼の祖父の姿を見るのです。祖父も儀助と同じく、この世に何かを思い残して死んだのではないでしょうか。ラストで相続者も儀助の祖父の写真を発見していますしね。

まとめ

 これは”死”というものに囚われた男がその拘りを手放せず、自分の人生を否定して命を絶ってしまう物語です。

 彼は生きようと思えば生きられなくはなかったでしょう。遺言開封の場には多くの人たちが集まっていたので、頼る当てはあったわけです。しかし彼のプライドがそれを許しませんでした。何しろ「貯金が尽きたら死ぬ」と自分で決め、周囲に宣言していたわけですから。また死んだ妻に対する憧憬もそれを後押ししたでしょう。

 世の中には原因が全くわからない自殺も少なくないですが、案外こういう人間もいたかもしれません。自分の信条を捨てられなかった男の悲劇として、見応えのある作品だったと思います。

関連作品紹介:『野いちご』(1957)

画像出典:IMDb‐Smultronstället

 『敵』を観て私が連想したのはこの作品でした。監督は『第七の封印』のイングマール・ベルイマン。主演は『霊魂の不滅』を監督したヴィクトル・シェストレム。他のキャストであるビビ・アンデショーン、グンナール・ビョルンストランド、マックス・フォン・シドーは前述の『第七の封印』にも出演しています。

 シェストレム演じるイサク教授が自身の学位授与式に向かいます。その道中で、息子の妻から自身に対する印象を聞かされたり、若いヒッチハイカーを乗せて若者の価値観に触れたり、仲の悪い夫婦に出くわしたり、自分の母親を訪ねたりします。そうしていく中でイサクは自分の人生を振り返っていきます。

 『野いちご』でも主人公の見る夢が重要な役割を果たしています。イサクの夢にはかつての婚約者や妻が現れて、彼は自身の過去と向き合わされることとなります。また自分の医学教授としての実績までも否定され、迫りつつある死をも感じさせられるのです。

 しかし『敵』の結末が悲劇的であるのとは異なり、『野いちご』の結末ではささやかな希望を残します。人生に対する絶望だけではなく、未来に向けられた期待も肯定して映画は終わるのです。

 スタンリー・キューブリックやアンドレイ・タルコフスキーも愛した本作。時間も91分と短めなので、オススメです。


野いちご [HD修復版] (字幕版)

 

 

 

 

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