目次
作品情報
イダ・ジェッセンによる小説を映画化した作品。
監督は『ダークタワー』のニコライ・アーセル。
出演は『007/カジノ・ロワイヤル』のマッツ・ミケルセン、『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』のアマンダ・コリン、『THE GUILTY/ギルティ』のシモン・ベンネビヤーグ。
アーセル監督とミケルセンは『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』でもタッグを組んでいます。
これは傑作!!
社会的なテーマを提示しながらも娯楽映画としての面白さも兼ね備えた、素晴らしい作品でした。作物の育たない荒れ地を開拓していく物語なので、アメリカ西部劇のような魅力も感じられます。
以下の内容はネタバレを含みます。未見の方がいましたらぜひ作品を鑑賞してみてください。これは本当にオススメですよ。
貴族という身分へのこだわり
ルドヴィ(マッツ・ミケルセン)は貴族の称号を欲しがっています。冒頭で彼が大尉のバッジを磨いていることからも、彼が自身の体面に拘っていることが伝わります。
ルドヴィの母親は領主に仕えていた家政婦であり、その領主に犯されたことから彼が産まれました。さらに私生児である彼の存在を疎ましく思った領主により、軍隊に送り出されています。こうした過去がコンプレックスとなり、貴族へと格上げされることを望んでいるのでしょう。
彼は領主のフレデリック(シモン・ベンネビヤーグ)から「資金と人員を提供するから、ヒースは俺の領地だと認めてくれ」と促されても断ります。さらに「お金をやるからよそに移ってくれ」と言われても、「ヒースは王領地」だと頑なに主張しつづけます。ヒースは国王が長年に渡って開拓を望んでいる土地であり、ルドヴィが貴族の称号を得るにはそこを開墾することが必須条件なわけです。なので彼はヒースを受け渡すことは絶対にできないのです。それほどまでに彼が貴族という身分に固執していることがわかります。
しかしラストでルドヴィはヒースを立ち去ってしまい、それによって貴族の称号は取り消されてしまいます。アン・バーバラ(アマンダ・コリン)という愛する人を見出したことで、自身の身分はどうでも良くなったのでしょう。
自分の身分に拘っているのはフレデリックも同じでした。彼の本名「フレデリック・デ・シンケル」の”デ”は貴族の証であることが説明されます。ルドヴィは何度も”シンケル”と呼びますが、フレデリックは”デ・シンケル”と訂正します。彼が自分の肩書に誇りを持っていることがわかります。
”南方の連中は不吉だ”
ルドヴィが”王の家”に移住してきた当初、少女のアンマイ(メリナ・ハグバーグ)に鶏を盗まれるという事件が発生します。そのときに彼は「南方の連中は不吉だから、次は捕まえてくれ」と番人に忠告しています。この時点では彼も差別的な思想を持っています。
しかし人員の必要から南方の人々を雇用して彼らの文化に触れ、その後アンマイと共同生活を送るうちに、彼の考えは変わっていきます。しかしドイツからやってきた入植者から「あの少女は不吉だから追い出してくれ」と言われてしまい、最終的には彼女を手放してしまうのです。
このように身分制や人種差別などの社会問題が、物語の展開と密接に関与しています。こうしたトピック自体はそれほど目新しいものではないものの、それがキャラクターたちの運命を左右することによって、そのメッセージ性がより観客の心へと響いてくるようになっています。
精緻に構築された脚本
テーマ性の部分以外でもストーリーの完成度は高いと感じました。
映画冒頭でアン・バーバラと彼の夫が「将来は海の近くに住みたい」と話すシーンがあります。ここで彼らの親密さが表現するることによって、夫の処刑場面でのフレデリックの残虐性が強調され、夫を殺されたアンの悲劇性が伝わってきます。さらにこれがラストでの復讐シーンを感動的なものにしています。
中盤での元囚人を襲撃する場面はアクションシーンとなっているのですが、ルドヴィが元軍人だという設定によって彼の強さが説得力あるものになっています。さらにここで軍人も殺してしまったことによりルドヴィは殺人罪に問われ、逮捕されることとなります。ただアクションシーンを取ってつけたのではなく、物語の展開に組み込んでいる点からも、脚本の緻密さが伺えます。
またアンマイが持っている赤いリボンを付けた棒、子供を食べるという迷信がついている虫など、アイテムの使い方も上手でした。
フレデリック・デ・シンケルの強烈な存在感
この映画に登場するキャラクターたちはどれも魅力的ですが、中でも悪役であるフレデリックの存在感は異彩を放っています。
彼は「世の中はカオスだ。何事も計画通りには進まないし、人間は物事をコントロールできない。」といった『ジュラシック・パーク』のマルコム博士みたいなことを言い出します。しかしフレデリックの場合は自分がやりたい放題するための言い訳に過ぎません。彼は自分の行為を正当化するためにもっともらしいことを口走っているのです。
こうした彼の狡猾性はアンの夫を処刑するシーンでも見られます。その際に彼は「逃亡した小作人を処罰するのは領主の正当な権利だ」と主張しています。しかし同じく逃亡した小作人であるアンは処罰せずに放置しています。彼は単に、自分と肉体関係のある家政婦と結婚した男が気に入らなかっただけなのです。そう考えると、ルドヴィを敵対視する理由として「ヒースの開拓によって領主としての自分の勢力が弱まる」と言われていましたが、これも自分に盾突くルドヴィが気に食わないだけなのかもしれません。
さらに彼は格下の人間だけではなく、他の領主たちにも傍若無人な振る舞いをしています。婚約者であるエレルが「彼は子供よ」と言ったように、彼は何でも自分の思い通りにならないと気が済まない人間なのでしょう。それは彼女にセックスを拒否された後、腹いせに家政婦を窓から放り投げる箇所からも察せられます。もはやフレデリック自身が”カオス”です。
こうした彼の怪物性は強烈であり、その下道っぷりは圧巻でした。それだけにラストにおける彼の死にざまには爽快感すらあります。
強いて欠点を挙げると・・・
一つだけ気になった点を挙げると、ルドヴィがなぜヒースを開拓できると確信したのか、それがわかりませんでした。
映画の冒頭では、デンマーク王国がヒースの開拓に長年失敗し続けていることが説明されます。それでも開拓できると確信したからには何か理由があるはずなのですが、劇中では説明されません。ルドヴィが元庭師であったという経歴から彼に土壌の知識があることはわかるのですが、それだけでは弱いと思います。ジャガイモならどんな土地でも育てられると思ったのかもしれませんが、ジャガイモの弱点である霜はヒースでも降っていますし。
ルドヴィがヒースを開拓するというのは映画の根幹をなすプロットです。なのでその行為に至ったきっかけが曖昧だと主人公にやや共感しづらくなってしまいます。私にはそう感じられました。
まとめ
ルドヴィ、アン、アンマイが疑似家族を形成していくプロットも、ベタながらも微笑ましいものでした。これによって後半で彼らが散り散りになっていく展開に切なさが生まれています。
また映像面でも非常に美しいショットが多かったです。登場人物が佇んでいるのを遠景で捉えた場面が多く、自然の雄大さや過酷さを感じさせられました。また時代劇であることを考慮して、蝋燭の火が光源になっている場面も多く、光の美しさも発揮されていました。
テーマ性もさることながら劇映画としてのエンタメ性も発揮された傑作だったと思います。
関連作品紹介:『偽りなき者』(2013)

マッツ・ミケルセン主演作品ではこれがオススメ。監督は『アナザーラウンド』でもミケルセンと組んでいるトマス・ヴィンターベア。
主人公のルーカスは(マッツ・ミケルセン)は幼稚園教師です。ある日彼は園児である女の子から愛の告白をされますが、当然やんわりと断ります。これに憤慨した女の子は園長に「ルーカスにいたずらされた」と口走ります。周囲の大人たちはこれを性的虐待のことだと早とちりしてしまいます……。
これは性犯罪者のレッテルを貼られた男の悲劇です。「子供は嘘をつかない」という幻想に囚われた大人たちは、ルーカスを一斉に排除・攻撃し始めます。女の子の証言を疑うことすら許されません。決して見ていて楽しい映画ではありませんが、リアルな恐ろしさのある作品です。
マッツ・ミケルセンはハリウッドでは悪役ばかり演じている気がします(まあ彼もそれを楽しんではいるようなのですが)。しかし北欧圏ではこんな役柄も演じているのです。ヴィランだけではない彼の様々な一面を、もっと多くの人に知ってもらいたいですね。

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