目次
概要
『KIMI/サイバー・トラップ』『プレゼンス-存在-』に続いて監督スティーヴン・ソダーバーグ×脚本デヴィッド・コープが組んだ3作目。
主演は『ザ・キラー』のマイケル・ファスベンダー、『TAR/ター』のケイト・ブランシェット、『ブラックアダム』のピアース・ブロスナン、『バービー』のマリサ・アベラ、『Mank/マンク』のトム・バーク、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のナオミ・ハリス、『グレイマン』のレゲ=ジャン・ペイジなど。
安定のデヴィッド・コープ脚本術
『ジュラシック・パーク』や『ミッション:インポッシブル』など、数々の名作に携わってきたのがデヴィッド・コープですが、今作では彼の作風が良くも悪くも如実に反映されていました。
さりげない伏線の張り方
今作ではラストで陰謀の全容が明かされるのですが、それに対する伏線の張り方は熟練の域に達しています。
例えば本作のマクガフィンである”セヴェルス”は赤いサッカーボールのキーホルダーに隠されていたのですが、物語の中盤でジミー(レゲ=ジャン・ペイジ)がこのキーホルダーをいじっている場面がサラっと映し出されていました。さらにゾーイ(ナオミ・ハリス)はカトリックとしての良心からジミーの陰謀をフレディにバラシてしまうのですが、彼女がカトリックであることはオフィスに飾ってあるキリストの絵画ですでに予告されていました。
こうしたオチに対する伏線だけでなく、ちょっとしたユーモアに対しても手がかりが散りばめられていました。冒頭で容疑者4人が初めて登場するシーンでは、これからウッドハウス夫妻の晩餐会に参加するに当たってフレディ(トム・バーク)は「会話に困ったら、とりあえず料理を誉めておけば良い」とクラリサ(マリサ・アベラ)に伝えます。そしていざ晩餐会でクラリサが失言をして空気が気まずくなった後、彼女はすかさず料理をほめて話題をずらすシーンが用意されていました。
伏線の提示にはバランス感覚が重要です。あからさまにアピールし過ぎると観客に伏線であることがバレてしまいますし、かといってさりげなさすぎて観客の記憶に残らないと、オチを明かした際に伏線を思い出してもらえません。今作ではそうした配慮が絶妙であり、この点においてはコープの脚本術は衰えを見せていません。
有効活用されない要素
その一方で、ストーリーの中でイマイチ有効活用されていない要素も散見されました。
その筆頭が、ジョージ(マイケル・ファスベンダー)とキャスリン(ケイト・ブランシェット)の親に関するエピソードです。冒頭の晩餐会にて、ジョージはかつて自身の父親のキャリアや結婚生活を破壊するような秘密を家族の前で暴露していたことが、フレディの口から語られます。さらにゾーイによるカウンセリングの場面の最後にて、キャスリンは「母親の二の舞いになりたくない」と発言します。この夫婦は2人とも、両親に関して暗い過去を持っていることが描かれているのです。
しかしこの要素は再度取り上げられることはなく、完全に放りっぱなしとなっています。だったらなぜこのようなエピソードを挿入したのでしょうか。このような「活用されない要素」は『プレゼンス』でも見られた欠点です。
スティーグリッツの描写が不足している
キャラクターたちが勤務するNCSCの上官がスティーグリッツ(ピアース・ブロスナン)です。後半で実は彼が黒幕であったことが明かされますが、正直言って意外性に欠けています。
これはなぜかというと、彼を描くシーンが少なすぎるからです。後半でキャスリンがスティーグリッツに対面して彼の陰謀を阻止したことを明かす場面までにスティーグリッツが登場したシーンはわずか2つです。2つのシーンとはジョージがキャスリンからカードキーを受け取るシーンと、ロシア人テロリストが逃亡したことを職員が伝えられる会議のシーンですが、どちらのシーンでもスティーグリッツは”NCSCの上官”という特徴以外はこれといったアイデンティティが描かれていませんでした。なので彼が黒幕であることが明かされても、大して感情が刺激されないのです。
かつてジェームス・ボンドを演じたピアース・ブロスナンを、新作スパイ映画で悪役にキャスティングするという面白さがあるだけに、このキャラクター描写の不足は勿体ないと言わざるを得ません。会議のシーンでの高圧的な振る舞いを見ると、面白いキャラクターになるボテンシャルを秘めていたと思うのですが。
コメディとして描くべきだったのでは?
今作は全体的にシリアスでスリリングな演出がされていましたが、個人的にはもっとコミカルに描いても良かったのではないかと思います。
というのも今作では荒唐無稽な要素が多く見られます。メルトダウンを引き起こす”セヴェルス”というアイテムや、ロシア人テロリストという標的に向かって激突するミサイルなどは、古き良きB級スパイ映画を思い起こします。
中盤の会議のシーンで、自分の行動のせいでトンデモない事態が発生していることを知ったジョージが、泣きそうな表情で水をコップに注ぐ部分なぞ完全に笑いどころです。この場面を観て、今作はコメディタッチの方が合っているのではないかと確信しました。
全体のストーリーを振り返ってみても、ウッドハウス夫妻が晩餐会で薬を盛ってジミー&ゾーイ、フレディ&クラリサの2組のカップルをグシャグシャにした挙句、ラストでは自分たちだけで銀行口座預金を独り占めしてしまう皮肉な展開には、ブラックユーモアを感じます。
スティーヴン・ソダーバーグ監督は『オーシャンズ』シリーズでユーモア性を遺憾なく発揮していました。そう考えるとやはり『北北西に進路を取れ』や『シャレード』のように、もう少しユーモラスさを強めるべきだったのではないかと感じます。
まとめ
いろいろと文句を書いてしまいましたが、とはいえソダーバーグとコープが組んだ3作の中では、今作が一番好きです。最も娯楽性に溢れており、90分という短い上映時間の中で複雑なプロットを描き切れている点で評価できると思います。
それと今作は音楽も優れていました。『プレゼンス』の音楽は過度に感傷的でイマイチでしたが、今作の音楽はスタイリッシュでクールさが感じられる出来栄えとなっています。しかもダラダラと垂れ流すのではなく、キャラクターの移動シーンのように特定の部分でのみ音楽を流すことで映画全体にメリハリを着けることにも成功していました。
関連作品紹介:『カリートの道』(1993)

デヴィッド・コープが脚本を担当した作品では、今作が最も優れていると思います。
監督は『ミッション:インポッシブル』のブライアン・デ・パルマ。主演は『アイリッシュマン』のアル・パチーノ、『ワン・バトル・アフター・アナザー』のショーン・ペン、『アーティスト』のペネロープ・アン・ミラーなど。
かつて麻薬王と恐れられた大物マフィアのカリート(アル・パチーノ)は、友人である弁護士のクラインフェルド(ショーン・ペン)の尽力によって早々と刑務所から出所します。カリートは娑婆に出た後はカタギの人間になり、裏社会からは足を洗おうと決心していました。しかしかつての彼の栄光を知る者たちが、カリートに近づいて来ます……。
冒頭はいきなりカリートが撃たれる場面から始まります。この時点では誰がカリートを撃ったのかが明らかにされません。映画はこの後カリートの回想によってなぜこのような事態になったのかが明かされていくのですが、主人公がいきなり撃たれるという衝撃的な冒頭により、掴みはバッチリとなっています。
メインストーリーはカリートの再出発ですが、そこにカリートとクラインフェルドの友情、そしてカリートとゲイル(ペネロープ・アン・ミラー)の恋愛関係が絡んできます。映画が進むにつれて彼らの関係性は微妙に変化してゆき、これがカリートの物語へ良くも悪くも影響を与えていきます。プロット自体はベタではあるものの、細部まで丁寧に作られているので見応えのある出来栄えとなっています。
デヴィッド・コープお得意の伏線回収も見事です。前半で登場した人物が思わぬ形で再登場したり、観客を騙す演出が功を奏しているシーンも見られます。
デ・パルマ監督の作品に顕著な所謂”デ・パルママジック”は、今作においてはそこまで主張してはいません。しかし暗殺のシーンやクライマックスなど、流麗なカメラワークが真価を発揮している場面も多く、デ・パルマ監督の持ち味が作品にしっかりと反映されています。
デ・パルマ監督×アル・パチーノといえば『スカーフェイス』が有名ですが、個人的には『カリートの道』の方が好きです。そして今作のほうがより多くの人に受け入れられやすい作風ではないかと思います。

カリートの道 (字幕版)
