作品情報
エドワード・アシュトンの小説『ミッキー7』を映画化した作品。
監督は『パラサイト 半地下の家族』でオスカーを獲得したポン・ジュノ。
出演は『THE BATMAN-ザ・バットマン-』のロバート・パティンソン、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』のナオミ・アッキー、『哀れなるものたち』のマーク・ラファロ、『へレディタリー/継承』のトニ・コレット、『NOPE/ノープ』のスティーヴン・ユァンなど。

ミッキー7 (ハヤカワ文庫SF)
悲惨な現実を緩和するユーモア
映画の前半はかなりコメディ色が強いように感じました。何しろ全ての発端である「マカロン屋さんを開いて大失敗」という部分からしてギャグですからね。(笑)
主人公であるミッキー(ロバート・パティンソン)はエクスペンダブルになってしまったせいで散々な境遇を味わうのですが、悲惨さは感じられずにむしろ可笑しみに溢れています。これは周囲の人間が「まあどうせ死んでも生き返るし」という意識にあり、ミッキーの死を軽視しているからです。こうした死に対する無頓着さが笑いに繋がっていました。
またミッキーのモノローグもこうしたコメディチックな雰囲気に貢献しています。その口調から見るに彼は自分の人生を自嘲し、今の悲惨な現実をニヒリスティックに受け入れているように思われます。このモノローグはミッキーというキャラクターの魅力を最大限に引き出していました。
ミッキー17と18の性格上におけるギャップも面白さを生んでいます。17の軟弱っぷりと18のけんかっ早さが強調されており、その対称性がこれまたおかしさに繋がっています。
そしてミッキーを演じたロバート・パティンソンのオーバーなアクションもかなり滑稽です。特にマーシャル夫婦との食事会で悶絶するシーンやミッキー18がケネス(マーク・ラファロ)を射殺しようとするシーンはドタバタが最高潮に達していました。
前半と後半でストーリーが噛み合っていない
というわけで前半は見ていて非常に笑えたのですが、後半でクリーパーが前面に押し出されると映画は全く別の方向に舵を切り始めます。
船内にクリーパーの赤ちゃんが侵入したことをきっかけに、ケネスはクリーパーを殲滅させることを決断します。こうして2人のミッキーはクリーパー狩りをする羽目になるのですが、このクリーパーにまつわるプロットが前半でのエクスペンダブルにまつわる要素と分離してしまっています。”死んでも蘇るクローン人間の苦悩”から”宇宙生物を抹殺しようとする人類の驕り”へとテーマが完全に移行してしまうのです。
そもそもクリーパーと交渉する2人のミッキーがクローン人間である必要がありません。何しろクライマックスで活躍するのはもっぱらミッキー18の方であり、17はほとんど何もしていないからです。これなら2人が全くの別人であったとしても、ストーリーは成り立ってしまいます。ミッキー17が18の影響を受けて行動するのは、最後に見た夢のシーンにおいてイルファ(トニ・コレット)を一蹴するときが初めてなのです。それならクライマックスで彼にも活躍の場を与えてあげても良かったんじゃないかと思います。
こうした路線変更の煽りを食らっているのが、ナーシャ(ナオミ・アッキー)のキャラクターです。前半で彼女はミッキーに話しかけてきた女の目の前でイチャイチャし始めたり、ミッキー17と18で3Pをしようとしたり、どうもヤバそうな雰囲気を漂わせていました。しかし後半になると急に正義心に目覚め、赤ちゃんクリーパーの保護を求めてケネスに歯向かい始めます。最終的には委員長にまで成り上がるので、「こんな良い人だったかな・・・?」と違和感を覚えてしまいました。
サイコパス科学者の場面は必要だったのか?
劇中で「エクスペンダブルが同時に複数存在した場合、即刻処刑する」という方針が決まった背景として、ホームレスを惨殺した科学者のエピソードが描かれます。
しかしこの場面は本当に必要だったのでしょうか。何しろこの科学者はその後の展開に一切関わって来ないのです。2人のミッキーがこの科学者を真似て、犯罪におけるアリバイ作りのために自分たちを活用するわけでもありません。
恐らく前述した「クローンが多重になった場合は処刑する」という設定の理由を説明するために用意したのだとは思いますが、もう少し短くしても良かったと思います。何しろこのシーンが描かれている間、ミッキーの物語はストップしてしまうのですから。
まとめ
いろいろと批判的なことも書いてしまったのですが、それでも娯楽映画としては面白く最後まで飽きずに楽しめました。グロテスクな描写はあるものの、万人に受け入れられる作品ではないかと思います。
ポン・ジュノ監督の英語作品はこれで3作目ですが、過去2作との共通点も目立ちます。極寒の環境というヴィジュアルは『スノーピアサー』(2013)と同じですし、動物虐待という要素は『オクジャ/okja』(2017)でも見られました。また戯画化された権力者というキャラクター性は3作全てに見られます。このあたりに監督の作風が見えてきそうです。
関連作品紹介:『嗤う分身』(2013)

主演俳優が一人二役を担当した作品は『月に囚われた男』(2009)、『複製された男』(2013)などが挙げられますが、今回はこちらをご紹介。
ドストエフスキーの小説『二重人格』を映画化した作品です。監督は『サブマリン』のリチャード・アイオアディ。主演は『ソーシャル・ネットワーク』のジェシー・アイゼンバーグと『アリス・イン・ワンダーランド』のミア・ワシコウスカ。
主人公のサイモン(ジェシー・アイゼンバーグ)はパッとしないサラリーマン。会社の仲間たちからは常に見下されており、彼が好意を寄せているハナ(ミア・ワシコウスカ)の自室を望遠鏡で覗き見する日々。そんな彼の元にジェームズ(ジェシー・アイゼンバーグ)が現れます。外見はサイモンと瓜二つなジェームズですが性格は真逆であり、その自信に満ち溢れた態度と社交的な話術によって周囲の人望を集めていきます・・・。
引っ込み思案な弱虫と強気なモテ男という組み合わせは『ミッキー17』における17と18と共通しています。『ミッキー17』における両者は当初いがみ合っていたものの、段々と友好的な関係を築いていきました。しかし本作におけるサイモンとジェームズは逆の運命をたどります。最初はサイモンに女性とのデート術を教えてあげていたジェームズが、だんだんとサイモンの地位を乗っ取り始めます。どちらかといえば『ファイト・クラブ』(1999)における主人公とタイラーの関係に近いでしょうか。
また全体的な世界観はディストピア的な不気味さを感じさせつつ、『未来世紀ブラジル』(1985)のようなコミカルさも醸し出されています。音楽についても独創性が見られ、坂本九の「上を向いて歩こう」といったびっくりするような選曲がなされています。英語圏の人たちにとってはエキゾチックな雰囲気を感じられるのかもしれません。
ストーリーは一筋縄ではいかず、特に結末はかなり開かれていますが、奇妙で多様な含蓄に満ちた怪作です。

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