『ノスフェラトゥ』リメイク映画は難しい(ネタバレあり)

新作映画レビュー

画像出典:IMDb-Nosferatu

概要

 F・W・ムルナウ監督によるサイレント映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)をリメイクした作品。またブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』の要素も一部導入されています。

 監督は『ライトハウス』のロバート・エガース。

 出演は『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のビル・スカルズガルド、『陪審員2番』のニコラス・ホルト、『キング』のリリー=ローズ・デップ、『クレイヴン・ザ・ハンター』のアーロン・テイラー=ジョンソン、『憐みの三章』のウィレム・デフォー、『チャタレイ夫人の恋人』のエマ・コリン、『グリーン・ナイト』のラルフ・アイネソン、『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』のサイモン・マクバーニー。

ホラー映画界で最高レベルの圧倒的ヴィジュアル性

 まずこの映画のヴィジュアル性は格別であり、その美しさを堪能するだけでも観る価値はあると感じました。

 特に強烈だったのは城への道を歩くトーマス(ニコラス・ホルト)の眼前に、オルロック伯爵(ビル・スカルズガルド)の馬車が迫って来るシーンです。幻想的な森の小径に一人佇むトーマスの目の前に、黒い馬の率いる馬車がぐんぐん近づいてきます。そして一瞬の暗転の後に馬車は停止し、ドアがひとりでに開きます。まるでトーマスを手招きしているようです。この黒い馬車は『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)に登場する「黒の乗り手」を髣髴とさせるデザインであり、この場面には目がくぎ付けになりました。

 さらにオルロック伯爵の城のデザインも荘厳でしたし、ヴィスブルクの街にやってきた伯爵の手のシルエットが、町の全景を覆いつくす場面などは『ファンタジア』での「禿山の一夜」のよう。船で伯爵が船員を殺害するシーンでは、闇が効果的に使用されていましたね。

 個々のデザインだけではなく、カメラワークや編集の技術も秀逸です。例えば冒頭でトーマスがジプシーの村にやってくるシーン。トーマスを映した映像からピントが踊っている男性へと移されていき、次に女性へと移動し、彼女が下に捌けた後には柱に寄りかかっている男性が中心となります。この振り付けされたような滑らかな視点移動は見ていて楽しかったです。

 またトーマスが伯爵の城に到着した後の場面も面白い。座っているトーマスの右で伯爵が書類を読んでいますが、次の瞬間では彼の左で飲み物を入れています。こうした細かい演出によって伯爵の怪異性が存分にアピールされていました。

 さらにトーマスが伯爵の棺を開けてしまった後のシーン。迫りくる伯爵の影が憑依されたエレン(リリー=ローズ・デップ)の背中へとシームレスに移行するクロスカッティングの編集もまた冴えています。

 音響面での効果も見逃せません。トーマスが城にやってきた後にその門が閉まるのですが、その音は心臓に響いてくるかのよう。また伯爵の声も地獄の底から響いてくるような迫力があり、聴覚的にも驚かされました。

 今作のホラーとしての演出・ヴィジュアル・音響面は圧倒的な完成度を誇っており、ロバート・エガース監督は間違いなく21世紀におけるホラーの頂点に達していると確信させられました。

リメイク映画の悲しき宿命

 しかし映画全体の感想を述べると、若干間延びして感じられたのもまた事実です。

 というのも今作はオリジナル版である『吸血鬼ノスフェラトゥ』のストーリーを比較的忠実になぞっており、展開の予測が容易になってしまっているからです。

 例えばトーマスは伯爵の城に幽閉される羽目になり、そこでも狼に追い回されるなど散々な思いをして、最終的には川へと転落してしまいます。しかし映画を観ている観客は彼が生還することを知っているのです(なぜなら原作がそうなっているから)。なので”トーマスが生き残るのかどうか”で観客の意識を引っ張っていくのは厳しいでしょう。

 またラストではエレンが自分を生贄にして伯爵を呼び寄せるのですが、そのことに勘づいたトーマスは急いで彼女の元へ向かいます。しかし観客はエレンが助からないことを知っています。これまた原作がそうなっているからです。ここでも”トーマスはエレンを助けられるのかどうか”で観客の注意を惹きつけるのは難しくなっています。

 このようにホラー映画において先の展開が読めてしまうのは、かなり致命的であるように思うのですが、そうした欠点を他の要素が穴埋めできていたのというと「うーん・・・」と首を傾げてしまいます。

 原作となっている映画が比較的マイナーであるならば、こうした影響は無視しても良いかもしれません。しかし今作のオリジナルである『吸血鬼ノスフェラトゥ』は映画史に残る名作であり、観たことのある人は多いでしょう(特に今作を観に行くような観客は)。仮に『吸血鬼ノスフェラトゥ』を知らなかったとしても、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』もこれまた非常に有名な小説であり、今までに何度も映画化されています。なので大まかな骨子を知っている人も多いはずです。

 こうした有名作を再映画化するならば、ストーリー上に何か観客の興味を引き付ける新奇性が必要だと思われるのですが、今作においてはやや物足りなさを感じてしまいました。

イマイチ功を奏していないオリジナル要素

 とはいえ今作にはオリジナル版には無かった要素も色々と追加されてはいます。しかしそれらが功を奏していたのかというと、これまた微妙です。

①エレンの過去が明らかになった

 映画の後半で、オルロック伯爵を甦らせたのは過去のエレンであったことが、彼女の口から明かされます。元々スピリチュアルへの傾倒が強かった彼女は父親から疎ましがられ、その寂しさから伯爵を呼び出したということです。映画冒頭での映像がその予告となっていたのでした。この要素は原作に無かったものです、

 しかしそうなると、全ての元凶はエレンであるということにもなりますよね。何しろ彼女が伯爵を甦らせたせいで、街中が大迷惑を被ることになるのですから。

 しかも彼女はアンナ(エマ・コリン)に「一緒に寝よう」と言って2人で寝室に行き、そこで伯爵が登場した結果、アンナは病魔に犯されてしまいます。

 アンナと2人の娘が殺された後、フリードリヒ(アーロン・テイラー=ジョンソン)は「お前が悪を呼び寄せたんだ!」とエレンに向かって罵りますが、全くその通りです。

 エレンは最後に自分を犠牲にして伯爵を倒しますが、これまでの行動が尾を引きすぎていて、マッチポンプにしかなっていないのでは・・・とも思えてきます。

②オルロック伯爵の動機が明確になった

 エレンが伯爵を甦らせたという過去が明かされたことにより、伯爵がヴィスブルクの街に降り立った動機も明確になりました。彼は自分を復活させたエレンが別の男と結婚したのを知り、それを破談させるために遠路はるばるやって来たわけです。

 しかしそれって元カノに粘着し続けるストーカーおじさんのような・・・。正直いって恐ろしさよりも滑稽さが勝っていたような気がします。

 オリジナル版の『吸血鬼ノスフェラトゥ』では、オルロック伯爵が街にやって来る動機は明確に描かれていませんでした。それによって伯爵が街に災厄をもたらす純粋な悪の象徴のようになっており、それがキャラクターとしての不気味さに繋がっていました。人間は”わからない”ものに対して恐怖を抱くのです。

 しかし今作でのオルロック伯爵には”恋心”という動機が与えられてしまいました。強面をしておきながら、意外と中身はピュアであることが明かされてしまったのです。これはキャラクターの矮小化に繋がってしまっていたと思います。

 もしかしたら『美女と野獣』のように、この物語をロマンスとして描こうとしていたのかもしれません。しかしそうしたアプローチ方法は『吸血鬼ノスフェラトゥ』という作品に合致していなかったのでは・・・?

③ハーディング夫妻の出番が増えた

 フリードリヒ&アンナ夫妻の出番も増えていました。特に変化として大きいのはクライマックス、アンナと2人の娘が殺害される場面でしょう。

 家族を失ったフリードリヒは一人で霊廊へと向かい、そこで死亡したアンナの遺体を抱えて彼も息絶えます。このシーンは小説『吸血鬼ドラキュラ』からの着想でしょう。

 一家全員が死亡するという悲惨な展開を導入した点は良かったと思いますが、しかしそれにしては描き方が妙にあっさりとしています。霊廊で惨状を目の当たりにしたトーマスとフォン・フランツ(ウィレム・デフォー)は、遺体に火をくべて早々と伯爵討伐へと出かけてしまいます。

 小説『吸血鬼ドラキュラ』では死んだ妻であるルーシー(アンナ)が吸血鬼として甦えるという展開があります(アーサー(フリードリヒ)は死なない)。愛する人が怪物となって再来するという悲劇性がここにはあったわけです。

 しかし今作にはこれの代替となるような要素もありません。映画の前半ではハーディング一家の仲睦まじい様子が描かれており、後半の悲劇との良いギャップが生み出されていたのですが、それがイマイチ上手く活用されているようには思えませんでした。

④フォン・フランツ教授の出番も増えた

 さらにフォン・フランツ教授の出番も増えました。オリジナル版でのブルワー教授はほとんど存在感が無く、正直いなくても支障の無いキャラクターになっていましたが、今作ではしっかりと描かれています。

 今作でのフランツ教授はエレンに対するメンターとしての役割を当てられています。彼女の過去を引き出し、ラストの自己犠牲への道を提示しています。このお師匠さん的アプローチは良かったです。

 しかしフランツ教授の出番が増えた割には、あまり有効に活用されていないとも感じました(特に後半)。

 例えば彼はエレンを診察して、周囲の人物たちにオカルト知識を伝達します。そこではオカルティズムを信じられないフリードリヒとの対立も見られました。

 さらに教授は失踪したクノック(サイモン・マクバーニー)を捜索するために野外調査へと乗り出します。その過程でクノックの事務所に刻印された黒魔術のマークを発見しています。

 しかしこれら一連のシーンは総じて退屈でありました。というのも、エレンの憑依の原因がオカルトにある点や、クノックがオルロック伯爵に操られているという事実は、観客には既に了承済みの事項であるからです。つまり「すでに知っていることをもう一度説明される」という事態になっています。

 小説『吸血鬼ドラキュラ』でのヴァン・ヘルシング(フォン・フランツ)は、吸血鬼と化したルーシー(アンナ)を退治したり、さらにはドラキュラ(オルロック)の城に赴いて霊を討伐したりと、大活躍をしていました。一方で本作のフォン・フランツが活躍した点といえば、クノックに最後のとどめを刺した事ぐらいです。もちろん原作の要素を全て取り入れるべきとは思いませんが、もう少し彼のアクションを増やしてあげても良かったのではないでしょうか。

 ラストでオルロック伯爵の墓を燃やし尽くす際、彼の隠された狂気が垣間見えます。周囲に批判されながらも愚直にオカルティズムを突き詰めていく熱情性が、彼にはありました。そこにキャラクターとしての面白さがあったようにも思えるのですが、結局それも有耶無耶になったまま映画は終わってしまいます。あのシーンは何だったのでしょうか。

⑤クノックは良かった

 といわけで脚色された部分は色々と残念な点が多かったのですが、唯一良かったのはクノックの描き方です。

 オリジナル版に登場するノックは、トーマスに不動産の仕事を任せるシーンで気持ち悪いニタニタ笑いを浮かべており、冒頭から怪しさMAXでした。そして精神病院から脱獄して逃げ回る姿は、恰幅の良い恰好からして『バットマン リターンズ』のペンギンのようであり、まるでコメディリリーフのようにも感じられます。

 しかし今作でのクノックからは、その狂気がしっかりと伝わりました。冒頭でトーマスと会話する彼は冷静沈着な上司として描かれています。まあ彼が既に取りつかれていることはわかっているのですが、その後に夜中の事務所で怪しい儀式をしている狂った様子が描かれることにより、強いコントラストが生み出されています。

 さらに精神病院でハトを生きたまま噛み殺すシーンや看守を殺害する場面といったヴァイオレンス描写も描かれています。彼がオルロック伯爵に付き従う様子は『ハリー・ポッター』でヴォルデモート卿に従うピーター・ペティグリューを連想させ、これまた絶妙な気持ち悪さに溢れています。

 このキャラクターの描かれ方に関しては、オリジナル版よりも勝っていたと思います。

まとめ

 形式面では最高レベルだったのですが、内容面ではやや期待外れな作品でした。何とも惜しい映画です。

 そういえば今作のエンドクレジットには『OPTIMIZED FOR IMAX THEATRES』の表示がありました。本国ではIMAXで上映されたようですが、日本ではされていません。『ブルータリスト』の記事で私は「IMAX上映館が少ない」と書きましたが、今作に至ってはゼロです。

 『ブルータリスト』と『ノスフェラトゥ』、どちらも日本ではPARCOが配給していますね。この配給会社ではIMAX上映にそこまで重きを置いていないのかな・・・?

関連作品紹介:『ノースマン 導かれし復讐者』(2022)

画像出典:IMDb‐The Northman

 ロバート・エガース監督の前作。出演は『インフィニティ・プール』のアレクサンダー・スカルズガルド、『ベイビーガール』のニコール・キッドマン、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』のクレス・バング、『マッドマックス:フュリオサ』のアニャ・テイラー=ジョイ、『ブラック・フォン』のイーサン・ホーク、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のビョーク。またウィレム・デフォーとラルフ・アイネソンも出演しています。

 主人公のアムレート(アレクサンダー・スカルズガルド)は一国の王子。父王であるオーヴァンディル(イーサン・ホーク)と共に成人の儀式を終え、王位継承への道を着実に歩んでいました。しかしある時、父王は弟のフィヨルニル(クレス・バング)によって殺害されてしまいます。アムレートは叔父への復讐を心に誓って逃亡します・・・。

 この映画では、中世の北欧ヨーロッパという時も場所も離れた異文化の世界を、強烈に体験させてくれます。冒頭で用意されている成人の儀式からして、その印象は鮮烈です。また中盤で登場する墳丘墓や、クライマックスでの火山など、舞台背景からしてその神話性が窺えます。

 「父親を殺された王子が叔父に復讐する」というメインプロットはありふれてはいるものの、随所に独自のひねりが加えられています。その具体的な内容には触れませんが、こうした適度の裏切りが映画にスリルをもたらしていました。

 またこの映画を特徴づけているのは、「強い者が支配し、弱い者は支配される」、「自らの命を投げ打ってでも、子孫の繁栄を目指す」といった野性的な価値観です。なのでやや凄惨な描写も多く含まれいるのですが、それと共にどこか美しさも感じられます。この”恐怖”と”美”を両立させる手腕が、ロバート・エガース監督の持ち味といえるでしょう。

 2023年に観た新作映画の中では、個人的ベストの作品です。強くオススメします。


ノースマン 導かれし復讐者 (字幕版)
タイトルとURLをコピーしました