目次
概要
ウィリアム・S・バロウズの同名小説を映画化した恋愛映画。
監督は『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノ。
出演は『007』シリーズのダニエル・クレイグ、『悪魔はいつもそこに』のドリュー・スターキー、『アステロイド・シティ』のジェイソン・シュワルツマン、『ファントム・スレッド』のレスリー・マンヴィル。

クィア (河出文庫)
中年男性の初々しすぎる恋愛模様
映画は全部で3つのパートに分かれており、第1章では主にリー(ダニエル・クレイグ)がアラートン(ドリュー・スターキー)に恋していく過程が描かれています。
それにしても恋するリーの何と初々しいことか。彼がアラートンとバーで話しているときや2人で映画を観ているとき、リーの幻影がアラートンに腕を伸ばして彼に触れます。片思いをしている人間の恋愛感情をかなり生々しく切り取ったシーンですが、まるで男子高校生の恋愛を観ているかのよう。
また2人が性の関係を結んだ後、リーはアラートンに尚も執拗に絡み続けます。「今夜は仕事がある」というアラートンに対して「今夜一緒にいてくれたらお金をあげるよ」といって金で釣ろうとしたり、南米旅行に誘うときも「旅費は俺が出すから」といってやはりお金で気を惹こうとします。挙句の果てには「俺がこの店の権利を半分買い取れば、ツケが溜まっている君は俺を無視できないだろう」と脅迫まがいのことまで口にし、ようやく旅行への同意を取り付ける始末です。
さらに仕事があるといっていたアラートンが女性を連れてバーに入るのを見たリーはやけくそになって立ちションをし、散々酔っ払ってゲイクラブの面々にダル絡みをして、最終的にぶっ倒れます。
傍から見ればあまりにも痛々しいオジさんです。しかし恋している人間というのはみな多かれ少なかれこんな感じでしょう。普段はやらないようなキザな行為を平然とやってのけたり、照れ隠しのためにお金を使って回りくどく近づこうとしたり・・・。こうした事例は現実でも山のように転がっています。
人間の恋愛というものをある意味リアルに捉えていたパートでした。
アラートンの本心とは?
第2章で2人は南米へと旅立ちますが、ここでリーは病気になってしまい、アラートンが彼を世話することになります。2人の関係は第1章よりかは親密になっているようです。
映画をここまで観ていると、どうもアラートンは明確なクィアではなく、第1章でのベッドシーンはワンナイトのつもりだったのではと思われてきます。その後にアラートンがリーに対してよそよそしくなるのはそのためでしょう。さらに彼がリーの旅行に付いて来たのも、写真を撮って新聞記者としての仕事に活用するためであり、だから旅行中のセックス後の朝食時にいちゃついてきたリーを突き飛ばしたのだろうと、私は考えていました。そしてどうやらリーもそのことに薄々感づいているようです。
しかしこうした見方は、その後の展開にて覆されることとなります。
人を本性を映し出す鏡”ヤヘイ”
第3章で2人はジャングルの奥深くへと突き進み、テレパシーが可能となる薬物”ヤヘイ”を手に入れるためにコッター博士(レスリー・マンヴィル)の元を訪ねます。
そして実際に2人はテレパシー体験をするのですが、2人の姿が消えてゆく直前にアラートンは「俺はクィアじゃない」と言い、リーは「わかってる」と応えます。しかしその後の2人はかなり長い時間に渡り、濃密に絡み合っています。そして次の日、アラートンはリーを引き離してスタスタと立ち去ってしまいます。
これはつまり、アラートンは真正の”クィア”であったが、その事実を受け入れられずにいたという事です。なので彼はリーに出会うまでゲイクラブに行ったことがなく、関係を持ったリーに対してよそよそしい態度を取っていたのでしょう。
テレパシーが終わった後、コッター博士はアラートンに対して「開いた扉はもう閉じない。それか目を背けるかしかない。」と述べ、テレパシー術をもう少し習得するよう2人を引き留めようとします。しかしアラートンは出ていくことを選びます。”ヤヘイ”でアラートンと心を通わせようとしたリーは、結果的に彼の心を強制的にこじ開けてしまったのです。
リーにコッター博士を紹介した男性は「”ヤヘイ”は別世界へ連れて行ってくれるものではない。あれは鏡だ。」と忠告します。第1章でリーとアラートンが観ていた映画で鏡は「そこには醜い自分が映っている。理性を捨てて飛び込みなさい。」と言及されていました。
”ヤヘイ”によってアラートンはクィアである自分と無理やり直面させられ、大きなショックを受けてしまいます。”ヤヘイ”に関する忠告を受けるのははリーではなくアラートンであるべきだったのです。何という皮肉でしょうか。
これらの事実を、リーはエピローグにて知ることとなります。
失われた過去への後悔
エピローグの冒頭で彼は空からメキシコへと降り立ちます。彼は南米旅行中に医者から「アヘンを断ちなさい」と言われていました。しかしこうして幻覚の世界に生きているのを見ると、相変わらずドラッグを常用しているようです。
リーはある夜に夢を見ます。ラブホテルの部屋に入室した彼は、床で自分の尾を噛んで∞マークを描き、涙を流している蛇を見ます。そしてベッドで頭にコップを置くアラートンが現れます。それを見たリーは拳銃でコップを撃ち抜こうとしますが、弾はアラートンの頭に当たり、彼は死んでしまいます。
この夢はリーとアラートンのテレパシーを象徴的に表したものでしょう。まず∞マークになった蛇はテレパシーで一つになった2人を象徴しているのでしょう。そしてアラートンを撃ち抜くリーは、”ヤヘイ”によってアラートンを精神的に殺してしまったリーを表しています。
映画のラストで老人になったリーは未だにアラートンへの想いを断ち切れていません。エピローグの冒頭でクィア仲間のギドリー(ジェイソン・シュワルツマン)にアラートンの近況を聞かされたときには、そこまで動揺しているようには見えなかったのにも関わらず。
リーはドラッグの幻覚によって、自分の犯した過去の過ちに否が応でも対峙する羽目になりました。アラートンは”ヤヘイ”によって自分の性的嗜好と対峙させられましたが、今度はそれがリーに跳ね返ってきたのです。
つまり『クィア/QUEER』という作品は「恋した相手と必死に繋がろうともがき、結果的に相手を破滅させてしまった中年男性の物語」だというのが私の解釈です。こうした愛の不条理には、一定の普遍性があるのではないでしょうか。少なくとも私は、身につまされる思いをしました。
物語と音楽の素晴らしいマッチング
このようにストーリー面でも魅了される部分がありましたが、今作は音楽の使い方も素晴らしかったと思います。
例えばリーが初めてアラートンに出会うシーン。ここではニルヴァーナの「Come As You Are」が流れています。この曲が流れ始めるのはリーがナンパしていた男性から拒否された後、独り寂しく通りを歩く場面です。そしてそのまま、リーがアラートンに一目惚れするシーンへと繋がります。リーの寂寥感と彼が恋に落ちる運命的な衝撃の両方が、この曲で見事に表現されていました。
リーとアラートンがメキシコシティの通りを歩くシーンでかかるプリンス「17days」も良い。都会のオシャレさとリーの高揚感が鍵盤音楽によって醸し出されています。
しかし最も印象的だったのは、アヘンを注射したリーが一人佇むシーンで流れるニュー・オーダーの「Leave Me Alone」。この場面ではリーの姿が延々と映し出されるだけなのですが、この爽やか且つどこか寂しさも感じさせるメロディーが相まって、リーがアラートンへの片思いに酔いしれていることがひしひしと伝わってきます。まるで初めて恋の感情を味わった幼気な少女のようで、あまりにもノスタルジック。この青春のような雰囲気には感動してしまいました。
まとめ
「強すぎる想いは時に人を傷つけしまう」という普遍的な寓話性に、映像と音楽の完璧な融合。個人的には、今まで見た恋愛映画の中でも上位に入るくらい好きな作品でした。
ルカ・グァダニーノ監督の次回作は『After the Hunt』であり、今年の10月に全米公開が控えています。今後の活躍が非常に楽しみな監督ですが、しかしこの人は企画を抱えすぎる傾向があるようにも思います。あるときは『スカ―フェイス』(1983)のリメイクを監督する話が出たり、またあるときにはルーニー・マーラ主演でオードリー・ヘプバーンの伝記映画を製作するという話が出たり。(こちらの企画は残念ながらボツになったようです。)コリン・ファレル主演のDC映画『Sgt. Rock』やオースティン・バトラー主演で『アメリカン・サイコ』(2000)のリメイク、さらにOpenAI社のCEO解任騒動を描く『Artificial』という企画まで浮上しています。さてどこまで実現するのやら・・・。
関連作品紹介:『チャレンジャーズ』(2024)

ルカ・グァダニーノ監督の前作。主演は『スパイダーマン』シリーズのゼンデイヤ、『ウエスト・サイド・ストーリー』のマイク・ファイスト、『ザ・クラウン』のジョシュ・オコナ―。
アート(マイク・ファイスト)とパトリック(ジョシュ・オコナ―)はテニスのダブルスチーム。抜群のチームプレイで順調に試合を勝ち進んでいました。そんなある日、2人は同じくテニス選手のタシ(ゼンデイヤ)に出会い、2人とも彼女に恋してしまいます。そこから3人の三角関係が始まり・・・。
『クィア/QUEER』は恋愛を比較的ロマンチックに描いていましたが、今作の描き方はかなりシニカルです。はっきり言って性格の良いキャラクターは一人としていないのですが、そんなどうしようもない3人が巻き起こす恋愛騒動がなぜこんなにも面白いのか!
最初は仲良しだったアートとパトリックは、タシに出会ってからは仲がだんだんギスギスし始めます。そんな2人がおかしくてたまらないタシ。最初はパトリックとくっつくのですが、次はアートに乗り換え、しかしパトリックとの関係も継続し・・・。付つ離れつの関係が繰り返されるのですが、その人間模様に目が離せません。
トレント・レズナーとアッティカス・ロスのアップテンポな音楽もまた気分を上げてくれます。登場人物はみな若いので、彼らはみなエネルギッシュです。そうした雰囲気が音楽からも感じ取れます。
そしてこの映画の白眉は、オープニングからラストにかけて断続的に描かれる、アートとパトリックが対戦するテニスの試合シーンです。特にクライマックスでの演出は神がかっています。セリフはほとんどないのですが、選手2人の表情や行動から彼らの感情が手に取るように伝わってきます。ネタバレを避けるために詳細には語れませんが、ラストの映像表現も格別です。エンドクレジットで流れる楽曲「Compress / Repress」もまた素晴らしい。
2024年に観た新作映画の中では最も好きな作品でした。強くおすすめします。

チャレンジャーズ